長年、チーズ業界に携わってきた私の感覚では、チーズに多少興味のある方でもブリー=カマンベールに似た白カビチーズという認識が多いように思う。
たしかに同じ白カビチーズあることと、一見すれば見た目も似ていて選ぶチーズによっては、味も似ている。
さらに、日本人を混乱させる要因として「ブリー」の表記のあとに60%などの表記があるのを見たことがないだろうか?
これはチーズを製造する際に原料乳にさらに、クリーム(乳脂肪分)を添加していることを示す。(詳しくは前回書いたブリア・サヴァランの章で書いているのでここでは割愛する。)
このタイプのチーズは大量生産されており、価格も低価格でスーパーなどでもよく見かける。
チーズにさほど興味のない方でもこれらのチーズを買ったことがあるのでないだろうか。したがって、このチーズの味がそのままブリーチーズの味わいと勘違いしている方が多いように思う。
前述したブリーチーズと”ブリー・ド・モー”は、全く別物である。
まず、"ブリー"とはフランス語で"Brie"と書くが、これはパリ盆地の東に位置する南北をセーヌ川とマルヌ川の渓谷とに挟まれているフランスの地方名である。
そして、”モー”とはフランスの都市の名前を指す。
有り体に言えば、「ブリー地方のモー村」というチーズ名になるのである。
フランスではよくあることなのだが、地方や地域名がそのまま商品名になる。ワインの世界では常識だが、例えばブルゴーニュ地方のジュヴレシャンベルタン村で作られたワインなど長ったらしい名前になる。さらには、その畑名まで言及することもある。つまり、かの有名な「ロマネコンティ」は、フランスのブルゴーニュ地方のヴォーヌ・ロマネ村のロマネコンティ畑のワインということである。
チーズの世界でも、伝統的なチーズにはこのような地域や村名がつけられているものが多い。
では、何でもいいから地域名をつければいいのかと言えばそうではない。
フランスにはA.O.P.【原産地名称保護】という制度により、原産地呼称に厳しい条件を定めている。この制度については長くなるので、また別の章で詳述するのでここでは、こういう制度があると言うことを知っておいてほしい。
上記のようなマークがついているものは、フランス政府公認の原産地名称チーズである証明になる。
この認証を取得するには、様々な条件がある、例えば、その地域で昔からつくられているか、またその製造方法、チーズであればその原料乳を出す家畜の種類・与えている飼料の内容など、細かいところまで規定されていて、それをクリアしなければ、上記のマークを商品につけることができないのである。
つまり、”ブリー・ド・モー”とは歴史的な背景も深く、製造方法も無殺菌の牛乳を使用しクリームは添加せず、限られた地域で生産・製造されたチーズということになり、唯一無二のチーズというわけである。もちろん、いくつかの生産者やそのチーズの熟成を担当する熟成士の違いなどで、風味や味わいは様々であるが、一定のクオリティが保証されている。
ここままで、読んでいただいた方であれば、分かっていただけたと思うが、ブリーとだけ書いてあるチーズと”ブリー・ド・モー”は別物なのである。まだ食べたことのない方は、ぜひA.O.P.マークのついた”Brie de Meaux”も食べていただきたい。
さて、ここからが本題であるなぜ”Brie de Meaux”が、なぜチーズの王と言われるようになったのか?
深掘りしていきたい。読み進めていただければ、ちょっとした豆知識がつくだろう。
ブリー・ド・モーの物語の始まりは遠い昔、7世紀に遡る…
西暦774年、フランク王国の皇帝シャルルマーニュが司教と一緒に初めて食べて認めたという記述がある。それがブリー・ド・モーであったかは証明しようもないが、このチーズは「リッチでクリーミー」で、白い皮が食べられるとあり、現在のブリー・ド・モーとよく似たチーズあったのだろう。そして皇帝は、毎年2台のカート分このチーズをアーヘンに送ることを要求したようだ。それだけ美味しかったということだろう。
そして、このチーズを一躍ヨーロッパ中で知らしめる出来事があった。
”ウィーン会議”である。
・”ウィーン会議とは、1814年9月から1815年6月まで、オーストリアの首都ウィーンで外相メッテルニヒが議長となって、ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序を回復させるため開催された国際会議のことだ。
だが、その内情は各国とも領土の拡張と有利な条件の獲得を狙って腹を探り合い、なかなか進捗せず、代表たちは舞踏会などでいたずらに時間を浪費したため『会議は踊る、されど進まず』と揶揄された。
そんな会議の中でフランスの代表タレーランが、「ブリーチーズほど美味しいチーズはない!」と豪語したのを聞き、オーストリア外相メッテルニヒが自国で生産される「バイエルン・ブルー」が最高のものと認められないことに腹を立て、大会の最後の晩餐会で、各国の参加者が代表する52の地域のチーズの試食会を開催することにした。
テイスティングの最後に、なんとメッテルニヒ自らがブリーを「チーズのプリンス、デザートの中で最高」と宣言した。
そしてタレーランから「チーズの王様」と称したのである。
その後も生産地がパリの近くということもあり、貴族や富裕層などの特権階級で人気を博した。
冷蔵庫のない時代、水分の多い白カビチーズは日持ちせず、また柔らかいため、長時間の輸送も向いていない、そのことが特権階級である貴族やブルジョア層の人々の贅沢品として珍重された。
長期保存が利く大型のハードチーズは農民の食料でもあり、富裕層からしてみれば「貧乏人のチーズ」と揶揄さた。
そして様々な背景がある中で、今でもその伝統を守りながら、チーズ作りが行われている。
現在では、世界中の様々な食材や飲料が日本で楽しむことができる。しかしその食材や飲料の生まれた背景やなぜ遥々日本に輸入され、私たちのところに来たのかを考える人は少ないだろう。
ただ最近思うことがある、自分自身をかたち作っているものは、普段何気なく食べたり飲んだりしている物であり、その一つ一つが体内で消化され、栄養となり、体中にいきわたり、新たな自分を作っていくものだと…
極端なことをいえば、食べるものを変えれば体調はもちろんのこと、その人の性格まで変わってしまう。そんな気さえしてきている。
飽食の現在だからこそ、ただ消費されるだけの食事はやめたいと思う。